考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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批評の仕方


以前、
「揚げ足取りや粗探しではない批判」というのは、
 どのようなものなのでしょうか
。』
という質問を受けたことがあります。


確かに、僕らが他人書物批評するときというのは、
ついつい、人柄や論点の至らない所に目が向きがちですが、

こういう姿勢からは、
本当の批評は生まれないと僕は思っています。

批評をする際に最も大事なのは、
対象となる人物や事柄に対して、本当に興味を持てているかどうか
という、自分自身の姿勢だと思います。


自分批評をする対象に対して、
どうにかして自分の意見を加えて、ねじ込んでやろうとすれば、
批評自然と批判的なものになってしまいます。

そうではなく、
相手に対する親近感というか、
親しみを持ってまず作品論文を読んだり、と接したりして、

相手の言わんとするところを、
相手の身になって汲み取る気持ちで接することが、
何よりも大事だと思っています。

最初から自分を立てて、人や作品や論文に接すると、
結局、最後まで自分の価値観でしか読み取れなくなってしまい

結果として、多角的な視点というものは生まれません


大事なのは、興味を持つということが
自分自身を納得させていくことと同義だということです

相手に対して興味を持ち続けることは、たいへん難しいことですが、
自分が納得したものであれば、人は雄弁になることができます

興味を持って相手に接するうちに生まれた言葉が、
本当に自分が言いたい言葉なのであり、
借り物ではない、自分自身の言葉生み出すことができます

そして、その言葉でもって語ることが、
自分が納得した批評の形というものに、自然となっていくのだと思います。

批評というものには何よりも、
そういう、自分の言葉を熟成させる期間というものが必要で、
それが、自分の言葉で考え始めるということに、繋がっていきます


自分自身で考える』と一言で言っても、様々な受け取り方がありますが、
例えば小林秀雄は、著書『本居宣長』の中で、
考える』ということについて、こう述べています。

「かんがふ」(注:「考える」に同じ)とは、あれとこれとが「相むかふ」、
 その関係について思いめぐらす事



元々、『考える』という行為は、その語源からして、
『か』+『むかう』、

つまり、
彼(か)のもの』を『迎える』ということで、
向う側にあるものを、自分が迎え入れるという行為そのものを、
指していたのかもしれません。

そうであるならば、考える際には、
自分自身の、相手を迎え入れる姿勢というものが、最も問われるわけで、

そういう姿勢で向き合える者が、
自分自身の言葉で考えることができる人なのであり、

それは、
相手の言わんとするところを、
相手の身になって汲み取る気持ちで接する
という行為現れてきます

僕は、その作業を経て初めて
単なる『揚げ足取りや粗探しではない批判』というものが、
可能になるのだと思います。

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by hiro-ito55 | 2012-10-19 00:49 | 哲学・考え方 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


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