死んだらみんな仏さま


死んだらみんな仏さま』という言葉があります。
これは、日本人の死生観であり、宗教観を表す言葉でもあります。
いい人も悪い人も、死んでしまったらみんな平等という捉え方は、
世界的に見て、とても珍しいものだと思うし、同時に一番誤解されやすい考え方だと思う。

例えば、家康公を神として祀った日光東照宮や、
大国主命を祀った出雲大社などは、今も破壊されずに残っています

そもそも明治政府から見れば、
徳川幕府創始者の家康は、錦の御旗に仇成す賊軍の象徴で、
維新の過程において、彼を神として祀る東照宮などは、
破壊されても不思議ではなかったはずだし、

また、国譲り物語で有名な大国主命を祀った出雲大社も、破壊されずに守られ
いずれも現代まで、人々の信仰を集めたり観光名所となったりしています。

こんなことは、
例えば、易姓革命政権の正当性の根拠とする中国大陸や朝鮮半島では、
歴史的に見ても、まずありえないことです。

易姓革命を根拠に権力者となった者は、自らの正当性を確保するために、
前政権の一族を、遠い親戚にまで遡って抹殺する『九族皆殺し』が当たり前で、
長い間、それを繰り返してきた歴史があります。

漢民族や朝鮮半島の人たちが、今でも自分の非をなかなか認めないのは、
こういった歴史が背景にあるからで、
東亜に限らず、むしろ世界的に見たらこっちの方が常識であったりするのです。

彼らには、
『死んだら悪人も善人もみんな同じ仏さまなんですよ。大切にしましょう。』
という考えは、容易には通じない。


例えば、中国の杭州に岳廟という有名な史跡があります。
岳廟は、中国の英雄岳飛(がくひ)を祀った史跡ですが、
そこには、岳飛を裏切ったとされる秦檜と、その妻の座像があります。

周りを檻で囲まれ、後ろ手に縛られて跪かされている二体の像で、
英雄である岳飛を裏切った仕打ちとして、
ここを訪れる中国人観光客は、この像に唾を吐きかけます。

彼らにとっては、
悪人は死んでも悪人なのだという考え方の方が、むしろ常識なのです。


しかし重要なのは、
そういうことが我々日本人から見て野蛮な考えだから改めろ、
などと言うべきものではない
、ということです。

例えば、死んだ人を、土葬や水葬にする国や地域が今でもありますが、
火葬が当たり前の国から見て、土葬や水葬は衛生上好ましくないから火葬にしなさい、
などとは言わないし、そういう考えを押し付けること自体、
その国の文化を否定することにも繋がってしまいます。

悪人は死んでも悪人という捉え方は、
儒教文化圏に生きる彼らの死生観であり、常識であるのだから、
他所の国民が、どうこう言うレベルの話ではないのです。


そして日本では、皆殺しの代わりに例えば島流しがあり、
武士道で言うところの、惻隠の情というものがあった。

『何も命まで奪わなくても』という考えは、
『死んだらみんな仏さま』という日本人の死生観と繋がっています。
そういう視点で見れば、靖国神社の合祀は当たり前のことなのです。

政治家の公式参拝や、分祀か合祀かで、毎年揺れる靖国問題ですが、
死んだ人間をどう祀るかは、その国の人が決めること
他国の人間がどうこう言うものではないのです。

靖国での祀り方や参拝に関しては、
『死者を同じように祀るのは日本人の死生観であり、宗教観である。』
と、一言政治家が言えば済むことで、

その国の死生観と政治問題は、
本来は切り離して論じなければならないものである筈なのに、
あれを、戦争責任や政治と絡めて問題化させているのは、むしろ中国や韓国なのです。

それにもし、分祀することが日本人として正しいのならば、
江戸城も日光東照宮も出雲大社も、蔑むような祀り方をするか、破壊してしまわなければ、
論理としては矛盾してしまいます。


そして、
『死んだらみんな仏さま』というのは、
実は、老人医療や介護に携わる僕らコメディカルにとっても、
とても重要な価値観ではないでしょうか。

死者を平等に扱うということは、生を平等に扱うということです。

たとえば年老いていく者や、死にゆく者を見て悲しいと感じ、
同時に、彼らの在りように尊敬の念を抱きながら、手を差し伸べていくのが、
老人医療や介護に携わる、僕らコメディカルの仕事。

専門性は、そのために発揮される手段であり、
何も共同体やコミュニティーなどと、取って付けたようなことを声高に言わなくても、
それを当たり前のこととして、今自分にできることを、黙々と実行している人たちが、
全国にはたくさんいると思う。

共に生きるということが僕らの価値観を支えている限り、
お互いを尊敬し合うことができる
それが分かっていれば、
生や死を平等に扱うということが、みんな同じように扱うということではない
ということにも、気付くはずです。

隣人は、自分と違って当たり前
それを尊重する視点から出発することでしか、僕らはこの世界に生きることはできないし、
それを支えるために、個性や専門性というものがあるのだとすれば、
共存することの意味というのも、きっとそこにあるのだと思います。

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by hiro-ito55 | 2012-09-23 19:19 | 日本人 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


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