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待つということも積極的な姿


ホトトギスって、僕は実際には見たことがないけれど、
ホトトギスと聞いて思い浮かべるのが、

『鳴かぬなら殺してしまえホトトギス』
『鳴かぬなら鳴かして見せようホトトギス』
『鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス』


という有名な言葉

浜口雄幸は自著 『随感録』(三省堂)の中で、
この言葉を引用して、こう述べているそうです。

努力の及ばざる所は時が之を解決す。
 鳴くまで待たうは時なり。



結構せっかちな僕が言うのもなんだけど、
なかなか奥の深い言葉だなと感じたのは、

すぐに結果を求められる現代において、
待つということができない、或いは苦手な人って、
随分と多いように思うからかもしれない。(自分も含めて

じっと何かを待つということが、
とても消極的で、回避すべき態度のように感じられ、
行動しなければ、
自主性がないだの、積極性に欠けるだのと言われやしないかと、

ついつい、そんな風に考えてしまう

けれど、
何事もすぐに行動を起こさなければならないなんて、
そんなこと、別に誰が決めたわけでもないし、

待つということも、
ものや人を見極めるのに、或いは物事を解決するためには、
随分と積極的な意味を持っている筈なのに、

実際には、それがなかなかできないのが、
或いは現代人に共通のジレンマなのかもしれません。

僕自身も、
何かにつけ、じっとしていると、
すぐにでも自分が取り残されてしまうような、

気がつけば、なんだか一日、
そんな過ごし方をしてはいやしないかと、
振り返るときがあります。

そして、そう感じるのは、
大抵、対人支援の場にいるとき。


もし対人支援の場において、
相手反応よりも介入すること、

つまり、目的手段履き違えて
こちらの専門家としての見解や、
或いは加算といったものを優先させて行動してしまうと、

相手の立場に立った時間と場の共有が
できなくなる可能性があります


専門的に言えば、
相手の立場に立った適切な段階付けと介入が、
どんどん疎かになってしまう
ということ。

それは、
相手の持っているものを引き出し、それを支援する
という対人支援の基本忘れていく
ということにも繋がっていきます

自分に対しても、相手に対しても、
待つという姿勢が疎かになっていくと、良い支援はできません

もちろん、
自分のやり方でもって、
どんどん対人支援を進めていこうとするのは、立派なことだけれど、

リハビリにおいては、
相手の反応を待つという姿勢もまた、
とても大事なことです。

目的は、
相手の持っているものを引き出し、それを支援することであって、
僕らが専門的な介入をすることは、手段であって目的ではない

待つという姿勢は、一見、何もしていないように見えても、
引き出すという意味において、
とても積極的な姿をしている筈で、

具体的には、
利用者の時間共に過ごす
一緒に時間と場を共有する、という姿勢にこそ、
それ涵養されるものかもしれない。


対人支援究極の目的は、
共に生きるという姿を作り出すこと、にあります。

そのために、
様々な形があっていいとは思いますが、

ただ、
高齢者に対するリハビリの在るべき姿問われる時代において、
その姿が、どういったものであるかについて、
僕らはもっと自覚的であるべきだとは思います。


何かにつけ追い立てられるような毎日ですが、
こういう大事なこと忘れないように、
備忘自戒の意味を込めて、
今回、ここに書き留めておきたいと思うのです。

待つということも積極的な姿_b0197735_15115461.jpg


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by hiro-ito55 | 2012-07-29 15:40 | 作業療法 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


by いとちゅー