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重要なのはThrough-put


哲学と実用性』 でも少し触れたことですが、
僕らが関る作業療法のことでもいい、
或いは哲学でもいい、
概論的なこと一般論的なもの役に立たず
具体論的なものこそ役に立つ

僕らは少し人生経験を積むことができて、
自分のやることに自信がついてくると、

物事を、ついついそのような
実用性を尊重した形で捉えがちです。

けれど、そもそも
概論一般論具体論は、どちらがいいとか悪いとか、
そのように、対比させて同列に論じるものではないと思います。

もっといえば、こういう問いの立て方自体
間違っているのではないかと思うのです。


現実生活において、特に仕事の上では、
白か黒かはっきりしろと、
具体的に迫られる場合も多いものですが、

現実に待ち受ける困難乗り越えるためには、
一般論・抽象論Input)だけで考えたり、
具体論Output)だけで行動したりするのではなく、

重要なのは、自分自身の形で消化すること
その在り方自体を自分に問う姿勢Through-put)、
なのだと思います。

現実にある困難は、問題を自分のものにしていくことで、
ひとつずつ乗り越えていけるのだし、
その形を問うことにおいて、人間の知性の努力は最大であるべきです。

ところがそれを、概論具体論かのところで拘ってしまうと、
頭の中で帰納法演繹法の間を、行ったり来たりするだけ
ということになりかねません。

一般論概論本に書いてある
けれど、それをそっくりそのままの形で、
仕事や人生に適用させることができないのは確かです。

僕らの現実は、
抽象的な世界そのままに在るわけではないのですから。

でもだからといって、
具体論すぐに提示できるのがいいとも限らない

僕らはよくできた計算機でもなければ、
脊髄反射に従って生きているわけでもない。

だから、
この問題には具体的にこう対処する
という 『形だけ』 で終わってしまっていたとしたら、
それは問題です。

これは受け手の問題でもあるのですが、
例えば、介護職員が、
リハの先生が具体的にこうだと言っているから、こうしよう。』 
と思って、
その通りのことを真似していくだけだとしたら、
せっかく具体論を提示したとしても、この場合は失敗です。

いくら具体的な答え提示しても、
相手の 『何故、そうなのか』 という
考える機会を奪ってしまっては、
結局、他の場面での応用が効かないし、その先が続きません

だから、
影響力のある人ほど、
こういうことには気をつけていなければなりません


僕らは、
物事を比較するという考え方に慣れてしまっています

しかし、
概論具体論どちらがいいのか、と比較するのではなく、

そういう比較思考のパターンから
一歩抜け出して考えてみることも、大切です。

例えば、
人の思考行動というものは、
空間的であって、時間的であるものです。
これは、どちらが欠けてもダメです。

相手がいる場合は、
お互いの間で交わし合うという、空間上でのやり取りがありますし、
また、後から分かるといったような、時間的な成熟があります。

そして、正しくそういう過程において、
問いや行動の形は変化していきます。

もっといえば、
いかに確信を持って我がものにしていけるか、という
広がりと深みを持った運動に、変化していきます。

そしてそれが、自分だけでは収まりきれずに、
自分から相手にバトンタッチされて、成熟していくこともあるのです。

そのように考えれば、
現実に目の前で起こっている困難乗り越えるために、
自分に対しても、相手に対しても、
よい問いの仕方、よい投げかけ方をすることが、
もっとも良い答えの出し方だ
ということに、気付くと思います。

重要なのは、
一般論・抽象論Input)だけで考えたり、
具体論Output)だけで行動したりするのではなく、

自分自身の形で消化すること
その在り方自体を自分に問う姿勢Through-put)、
なのです。

そのためには、
抽象的な問いから入ろうが、具体的な問いから入ろうが、
そんなことは大した問題ではないということが、分かると思います。

重要なのはThrough-put_b0197735_1225369.jpg


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by hiro-ito55 | 2012-07-05 01:51 | 哲学・考え方 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


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