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現代思想について思うこと―その2 ―


2.確率論へのすり替え

科学者自身がそうであるように、
物事を確率論的考える癖は、相対的価値観とともに、
現代人にとって、身近なものの捉え方です。

それは、例えばこんなことです。

去年の記事 ある夢の話 で、
祖母が亡くなる前日に、
僕の夢枕に立った経験について書きました。

確率論にすり替えるとは、
この話を聞いて、これを正しいか、正しくないか
という問題に、置き換えてしまう
ということです。

それはどういうことかというと、

なるほど、あなたの見た夢は、後から振り返ってみれば、
確かに予知夢と呼べるようなものだったかもしれないが、
同じような夢を見て、外れた場合も世の中にはたくさんある

そのたくさんあるケースの中から、あなたの見た夢だけを取り出して、
帰納的にそれが広く一般にいわれているような、予知夢だと判断するのは、
合理的に見て、正しいわけではない

確率論者は、このように主張します


しかし、
人は、自分の経験した事実を、
その経験のままに受け取ることでしか、
現実というものを積み重ねていくことはできない

現実に生きるとは、そういうことで、
それが最も重要であるにも関らず、
経験したその姿のままに語るところでは、受け取らない

受け取らないで、
他のケースと比較し、判断基準外部に持っていって、
それが正しいのか、正しくないのかという新たな問題
すり替えてしまうのです。

そういう回りくどいやり方でもって、
人間の経験を図ろうとする


現実経験する僕らにとって、
正しいか、正しくないかが問題なのではなく
そういう経験をする人間の精神肉体というものが、
いかにも不思議である。

しかも、
この不思議驚かずにはいられないのもまた、
現実の自分自身である。

そういうことが問題なのです。

そういう二重の現実に包まれた只中にいれば、
人間には、それを素直に受け取ることでしか、他にそれを知る術はなく、
合理的な解釈など、甚だ無力である。

人間の経験は、
そういうことを教えているのであって、

それを確率論的問題として捉えるようなすり替えは、
本物を作ろうとして、
トルソを作ってしまうようなもの
かもしれない。

そんなふうに思います。


しかし、
現実の経験そのまま語ろうとすれば、
それはその人の主観であると捉えるのが、大抵の人の反応です。

だから、
観念論者ますます意固地になるし、
科学者は、
ますます人の経験というものを、バカにするようになるのです。

観念論者科学者も、
やれそれはオカルトだ、非科学的だ、唯物論だと、
争ってはいるけれど、

何れにしろ、誰もその経験について語ること
真剣に受け取ろうとはしない

みんな、
それが正しいのか、正しくないのか、という新たな問題
すり替えてしまっている。

当の本人たちは、
すり替えてしまっているということにさえ気付かない

そして、
それにはっきり気付いているのは、
一瞬で消えてしまう何かを、永遠の何かに置き換えようとする、
そういう鋭い感覚でもって、
現実向かい合っている芸術家だけかもしれません。

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by hiro-ito55 | 2012-06-08 00:10 | 哲学・考え方 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


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