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震災復興のテクノクラート


皆さんは、井上準之助という人物をご存知でしょうか。
戦前に大蔵大臣(今の財務大臣)として活躍した人です。

昭和5年、当時世界恐慌の煽りを受け、
慢性的な不況に陥っていた日本を、
浜口雄幸とともに緊縮財政行政整理によって金解禁を実行し、
近代日本の歴史の中で、
もっとも鮮明と言われる経済政策を実行した人です。


彼が大蔵大臣に就任したのは、大正12年9月1日

そう。関東大震災のあった日です。

国内未曽有の非常事態ということもあって、
組閣作業は急がれました。

9月2日には、各大臣の親任式が行なわれ、
井上準之助も大蔵大臣として挨拶に立ったのですが、
彼が日銀出身の大臣であるということで、
官僚からの冷たい視線が注ぐ中での挨拶であったようです。

しかし、井上は、その挨拶の席上で、
就任早々、モラトリアムの実施を発表します。

モラトリアムとは、支払い猶予令のことで、
一定期間、債務の支払いを凍結し、
銀行からの預金の引き出しについても、大幅に制限する

というものです。

これを実行することで、債権者が一斉に手形を取り立て、
債務者がそれに応じきれずに、破産が続出する
という事態を防ぐ
という狙いがあります。

モラトリアムは、
第一次世界大戦中に、ヨーロッパで実施された例がありますが、
日本で実施されるのは初めてのことで、
しかも、天災にまで適用できるかどうかは非常に微妙で、
高度な政治判断を求められる問題でした。

しかし、この井上の素早い判断によって、
震災六日後の9月7日にはこの法令を公布し、即日施行させることで、
経済の混乱未然に防ぐことができました。

更に9月12日には、
震災の被害者に対して、税金を免除・軽減・猶予する法令と、
生活必需品の輸入税を免除・軽減する法令を公布し、施行します。

この間、わずか2週間足らず

震災で大蔵省の庁舎は焼け、十分な資料もない中での政策実施で、
まさに、早業と呼べる行動力ではないでしょうか。


そしてその後、
政府からも 『帝都復興に関する詔勅(注:帝都=現在の東京)
が打出されますが、
このとき、日本の主要産業である生糸産業が大打撃を受けた横浜が、
この計画の中に含まれるかどうかが、曖昧にされました。

そこで井上は、各関係団体に積極的に働きかけ、
横浜を復興計画に含めることを閣議決定させます。

しかし、震災後の復興の成り行きを心配した者たちが、
神戸に生糸市場を移すよう、井上の下に陳情に訪れます。

そのとき、井上はその一団に対し、
横浜へ行ってみなさい。彼らが今あんな悲惨な目に遭っているのに、
君たちはそれを助けようともせず、産業を神戸に移せなどと
不人情なことをしようとする。
そんな薄情なことが許されると思うのか
。』
と、彼らの要求を一蹴しました。

そしてその一方で、横浜の人たちには、
生糸を運ぶのに汽船が使えないなら、軍艦を使ってでも運んでやる。
どんな支援でもするから、一日でも早く仕事を始めろ
。』
と、励まし続けたそうです。

その甲斐あってか、現に9月18日には、
横浜で生糸の取引が再開されます。


また、震災後の復興予算編成の場においては、
与党内部から、
被災地は日本の一部にすぎず、被災地自らの負担で再建を図るべきで、
国民全体がその費用を負担する必要はない

という強硬な意見が出されましたが、

井上はこれをはねつけます

人間でいえば、東京横浜も身体の一部分である。
 しかも帝都は首から上の部分である。
 それが身体の全部でないからという議論には賛成できない。
 帝都および横浜の復興は全国民の負担においてなすべきである
。』
 (青木得三著『井上準之助伝』:井上準之助編纂会)
として、

予算捻出のためには、増税することを避け
入るを量って出ずるを制す』という考えの下、
徹底した政府の支出削減を主張し、
その上で、復興予算額を弾き出します。

その後、各大臣の根強い反対を何度も押し切って、
井上の原案どおりの震災復興予算が、閣議決定されることになります。


そしてそこからふと、
東日本大震災後の、今の日本の現状を思ってみる。

時代背景社会システムも違いますが、
今、どこを見渡しても、
このような行動力信念を持った政治家は、
残念ながらどこにもいません。

震災から一年経っても、
日本全体のことを思って具体的なヴィジョンを打ち立て、
それを実行できる政治家が、
見渡す限り、ほんとうにどこにもいないのです。

現在の社会システムがそうさせるのか、
政治家自身がそうなのかは分かりませんが、
皆、党利党益派閥利益確保という
狭い土俵の上だけでしか動けなくなっている。

政治から主体性が奪われると、
こうも愚鈍になってしまうのかと、嘆きたくなります。


大正12年から9年後
井上は、残念ながら一連のテロ標的となり、
民衆の面前で銃弾に倒れてしまいますが、

現在の政治を思えば、
心に完全の満足と愉快』 という自分の中にある純粋な信念に従い、

それがあるならば、
多少世間に対する人為的の位置は低くとも、又まずい飯を喰っても、
 其の方が遥かに勝れしならん
』 
という哲学を貫いた、稀有な政治家なのかもしれません。

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by hiro-ito55 | 2012-03-29 19:09 | 社会 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


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