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名付けるということと作業療法


あるものについて、名前を付ける、或いは言葉で表現するということは、
そのものに単なる意味を付すというだけではなく、
そのものに、姿や形を与えるということです。

例えば、目の前のを見て、綺麗な枝振りというときの、
その枝振りという言葉は、
単にその枝のフォルムデザインディテールを言っているのではなく、
もっと全体的なものを含んでいる

こことここのが、こういうふうに交わっていて、
の大きさや付き具合が絶妙だのといった
言葉によるその枝振りの見事さを表す説明を待たずに、
枝振り』 と一言表現するだけで、
それがどんなものなのかということが、納得できることがあります。

つまり、その一言には
言葉による詳しい解釈分析意味といったものまで、
全部が含まれていることになります。


逆に言えば、
枝振りという言葉で表現したにも拘らず
僕らの分析や解釈の言葉は、まだ言葉として表現されていない
という見方もできます。

つまり、
言葉で名付けられたのにも拘らず、
まだ言葉にならないものが、既にそこに含まれているという、
言葉の上でのパラドックスが成り立っています。

しかし、だからこそ桜の木を見て、
あの桜のあの綺麗な枝振りと、その言葉で表現したとき、
その言葉で表現できないものまで含めて
感心という形で、僕らの印象に残ることができるのです。

それが、そのものに姿や形を与えるということであり、
何かに対する感動を、改めて僕らが意識できるということだと思う。

そして恐らく、そういった言葉の持つ力
鋭い感覚を最も注ぎ込んでいるのが、
詩人なのではないでしょうか。

詩人は、言葉を使い名付け、表現することで
世界に姿や形を与える

詩に対する
僕らの詳細な分析説明の言葉は、
いつだって後から付けられるものです。


これは、
ひょっとしたらリハビリにだって、同じことが言えるかもしれない。

例えば、利用者の歩容と言ったときに、
歩容と表現される言葉の中には、
その人の歩幅や、歩隔、筋力、バランス能力、歩行に対する意欲
などが、含まれています。

或いは、利用者の作業と言ったときには、
手指の巧緻性や、アイ・ハンド共同作業能力、認知の正確さ
好き嫌い、昔取った杵柄などが、含まれています。

それらを全部含んだものが、
その人にとっての歩容や作業の意味であり、
筋力や手指の巧緻性だけでは説明できない
その活動に取り組むその人の、姿となるのです。


作業療法を行なって、活動に対して、
これが私の歩容』 『これが私の作業
といった言葉で表現できるようになるには、
そこに全体がなければいけない。

歩容や作業などに、全体が含まれることで、
その人にとっての活動の姿や、形が現れるのであって、

筋力バランス能力手指の巧緻性といった詳しい解釈と、
それに対する介入は、
そういった全体としての姿が捉えられて、
初めて意味を成すもの
なのではないでしょうか。


先日、事務部の方から
アクティビティーのために提供して頂いた彼岸桜を見ながら、
そんなことを考えたりしました。

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by hiro-ito55 | 2012-03-19 22:27 | 作業療法 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


by いとちゅー