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作業療法は人間活動を扱うもの

先週、久しぶりに元同僚PTさんと会い、
リハビリ業界でも最近は、
How to本』 の類いが、やたらと多くなってきた
という話になりました。

なぜ、これほどまでに
How to本や、 Instant toolが増えたのか。

需要がなければ、本も増えることはないですから、
買い手であるリハ職の中に、
すぐに答を出さなければならない』 と考える人が増えてきて、
そこから、『すぐに使えるHow to』 を望む人が増えた
ということです。

このような傾向は、リハビリに携わる者の思考の欠落
という、全体的な傾向を表しているのではないか。

言い換えれば、
自分で考えることに対し、
忌避的姿勢を示す人が増えてきている

そういう傾向を表している
とも言えるでしょう。


実は、
僕が作業療法士になって、心に響いた言葉があります。

ひとつめは、数学者 岡潔言葉で、
彼は 『人間の建設』(新潮文庫)の中で、
次のようなことを述べています。(少し長いですが...。)

私がいま立ちあがりますね。
そうすると全身四百幾らかの筋肉がとっさに統一的に働くのです。

そういうものが一というものです。
一つのまとまった全体というような意味になりますね。
一の中に全体があると見ています、あとは言えないのです。

個人というものも、そういう意味のものでしょう。
個人、個性というその個には
一つのまとまった全体の一という意味が確かにありますね。

たとえば人が立とうという気持で立ちましょう、
それは筋肉運動ではありますが、
気持次第千差万別の立ち方がありますね。

そういうことを何がさせているかということが、
実は一つもわかっていない
そうだとすると、人間の生活は操り人形でしょう。

それが何に依存して、
どういうあり方であるかということが一つもわかっていない

人がどうしてできたかということは、
肉体だけから説明できると信じているが、
とんでもない間違いだと思います。

われわれの日常生活の仕方
なぜそういうことができたのか、どういうあり方であるのか
ということが一つもわかっていない

にもかかわらず、自然というものがあって、
その機能によって時間と空間の中
自分が動いているということだけを信じている。
それは偏見だと思うのです。
とうてい説明しきれるものではないのです。



また、
2011年7月20日の僕の記事
人はマニュアルによって動きはしない』 の中でも紹介しましたが、
小林秀雄は 『様々なる意匠』 の中で次のように述べています。

人間を現実への情熱に導かない あらゆる表象の建築は
便覧(マニュアル)に過ぎない。

人は便覧(マニュアル)をもって
右に曲がれば街へ出る と教える事は出来る。
然し、坐った人間立たせる事は出来ない

人は便覧(マニュアル)によって動きはしない、
事件によって動かされるのだ。




この二人の、人間への優れた洞察から、
人間の生活や行動の動機となる、情緒心的運動が、
個人の中で、如何に大きな力を持っているかを
想像することができます。

作業療法が、対象者の活動
治療へと結びつけるものであるなら、

僕らは
人間の情緒心的運動というものに、
無関心ではいられない。

それらを知るために、
精神医学心理学を学ぶのも結構ですが、
専門的・科学的に知ることと、人間を知ることとは
別のことです。

木を見ること森を見ることが、別のことであるように...。

或いは、知には順序がある
と言っても、いいかもしれません。

人間であれば、誰にでも、一人の人間としての在り様
というものがあります。

それは、
その人をその人足らしめているものであり、
人間活動知るには
まずは、そこに気付かなければなりません。

その上で治療を というときに、
専門的な知見や、スキルが必要となるのです。

『知』 には、そういう順序や、
質の違いがあるということが分からなければ、
良い治療など、できる筈もありません。


まずは、情緒心的運動を含めた
個としての人間の在り様知ること。

これを知る手がかりになるのが、
哲学であると思うのです。

哲学というと、何か小難しいものだと思ってしまいますが、
人間活動そのもの』 のことです。

作業療法人間活動を扱うものですから、
作業療法を通して考えるということは、
哲学をするということでもある筈です。

それに、
岡潔数学者で、小林秀雄批評家です。

哲学者』でなくても、
こういう人を参考にして哲学はできるし、
哲学は、けっして形而上のものでもありません。

僕らが、作業療法を通して考えるということは、
それは、『具体的な哲学をする』 ということになるのです。

しかし、ここを素っ飛ばして、
すぐに使えるHow to頼るというのは、
対象者の人間としての在り様も、僕らの専門的な知見
知らずに済ますということです。

今、作業療法士自身その姿勢であっても、
形だけの作業療法が成り立ってしまう

そのような姿勢で、済まされる時代になりつつあるのでは、
と思うのです。

養成校でも、臨床でも、
哲学についての必要性重要性を、
誰も教えてはくれません

だから、自分で学んでいくしかないのですが、
しかし、この欠落が、そう遠くない未来のうちに、
作業療法致命傷となるのではないか、

僕は危機感煽るような論じ方は好まないのですが、
最近は、ついついそんな気がしてしまうのです。

作業療法は人間活動を扱うもの_b0197735_0552665.jpg


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by hiro-ito55 | 2011-12-28 00:32 | 作業療法 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


by いとちゅー