胃瘻と終末期医療
2011年 09月 01日
僕が四年前まで勤めていた老健では、
胃瘻を造設した利用者も、受け入れていました。
僕の経験では、ほぼ100%の利用者が、
要介護5の、意志疎通も困難な
認知症末期の利用者さんでした。
この方たちの胃瘻造設の場合、
途中で経口摂取のために胃瘻が抜去されることはなく、
お亡くなりになるまで、胃瘻による栄養供給が続きました。
その間、ベッド上での生活がずっと続きます。
褥瘡予防や、拘縮進行防止のため、
ベッドサイドリハに行くたびに
『これが人間の終末期なのか。』
と疑問をもった経験があります。
下のグラフは、民間研究機関・矢野経済研究所(東京)が行なった
我が国の胃瘻関連用具の出荷数の統計です。
新たに胃瘻を造設するために必要な、造設用キットの出荷数が
年間10万本前後で安定推移しているのに対し、
3~6か月毎に交換が必要なカテーテルの出荷数は
右肩上がりであるのが分かります。
これは、胃瘻を長期で使用する人の数が
毎年増加していることを裏付けるものです。
(全ての胃瘻造設者が、認知症末期の高齢者ではないですが)
寝たきりの認知症高齢者に対し、
栄養供給の方法として、胃瘻造設を選択する理由としては、
医療者側の
①クライアントを餓死させてはならないという倫理観
②栄養供給処置をしないことで、法に触れる危険がある
という意識や、
家族側の
①クライアントにできるだけ生き続けてほしいという感情
②胃瘻を拒否することで、クライアントを死に追いやるという決断を
自分が背負ってしまうことの心理的負担の重さ
などが挙げられると思います。
胃瘻造設に関して個人的な意見を述べれば、
経口摂取が不可能な時の、一時的な栄養供給法であり、
それは、
経口摂取の訓練と併用して
栄養状態の改善が図られるものであるべきだ
と思います。
つまり、クライアントの状態が回復すれば、
抜去されるということを目的に、
胃瘻は造設されるものであると思うのです。
人を看取るためには、関係者の負担を少しでも減らすため、
医療者側にも家族の側にも、
ゆっくりと死を受け入れていくという環境が必要です。
終末期の医療技術は、そのための準備として行使されなければ、
人間らしい死を迎えることは困難になる
と、個人的には思います。
寝たきり認知症末期の方へ、胃瘻以外に栄養を供給する方法はないか、
知り合いのNrs.に尋ねてみたところ、
末梢点滴という方法があると、教えてくれました。
末梢点滴とは、
胃瘻の代わりに、一日300㏄程度の輸液を点滴で供給し、
看取る方法だそうです。
まだ一般的な方法ではないそうですが、
一日に数百㏄の輸液だけでは、
生命を維持するためには、絶対的に足りない量です。
そのため、少しずつ体は衰えていきます。
ゆっくりと死に向かうその姿を見続けることは、
やはり大変辛いものだそうですが、
医療者側にも、家族の側にも、
『無理に生きさせている』 『何もせずに見殺しにしている』
『生死の決定的決断を、自分が下してしまった』
などの心理的負担を、
緩和させるものであるそうです。
あくまで倫理的な観点から考えた場合、
人間らしい終末期の在り方というものを考えれば、
胃瘻による栄養供給が延々と続くよりは、
よほど人間らしい死の迎え方であるような気がします。
*補足:調べてみると、『終末期』の定義は、
日本老年医学会においても、曖昧であるようです。
以下、
『高齢者の終末期の医療およびケアに関する日本老年医学会の立場表明』
(2001年6月13日)を抜粋。
『「終末期」とは,「病状が不可逆的かつ進行性で,その時代に可能な
最善の治療により病状の好転や進行の阻止が期待できなくなり,
近い将来の死が不可避となった状態」とする。
高齢者は「終末期」にあると判断されても,わが国では余命を予測
するための医学的成績の集積が現状では不十分であり,余命の予測が
困難であるため,「終末期」の定義に具体的な期間の規定を設けなか
った。
「高齢者の終末期」の定義に関しては現在ではこのような曖昧なもの
であるが、 (中略) 不可逆的,進行性の過程をたどることの多い
個別疾患ごとの検討が日本老年医学会の今後の課題となるであろう。』
胃瘻を造設した利用者も、受け入れていました。
僕の経験では、ほぼ100%の利用者が、
要介護5の、意志疎通も困難な
認知症末期の利用者さんでした。
この方たちの胃瘻造設の場合、
途中で経口摂取のために胃瘻が抜去されることはなく、
お亡くなりになるまで、胃瘻による栄養供給が続きました。
その間、ベッド上での生活がずっと続きます。
褥瘡予防や、拘縮進行防止のため、
ベッドサイドリハに行くたびに
『これが人間の終末期なのか。』
と疑問をもった経験があります。
下のグラフは、民間研究機関・矢野経済研究所(東京)が行なった
我が国の胃瘻関連用具の出荷数の統計です。
新たに胃瘻を造設するために必要な、造設用キットの出荷数が
年間10万本前後で安定推移しているのに対し、
3~6か月毎に交換が必要なカテーテルの出荷数は
右肩上がりであるのが分かります。
これは、胃瘻を長期で使用する人の数が
毎年増加していることを裏付けるものです。
(全ての胃瘻造設者が、認知症末期の高齢者ではないですが)
寝たきりの認知症高齢者に対し、
栄養供給の方法として、胃瘻造設を選択する理由としては、
医療者側の
①クライアントを餓死させてはならないという倫理観
②栄養供給処置をしないことで、法に触れる危険がある
という意識や、
家族側の
①クライアントにできるだけ生き続けてほしいという感情
②胃瘻を拒否することで、クライアントを死に追いやるという決断を
自分が背負ってしまうことの心理的負担の重さ
などが挙げられると思います。
胃瘻造設に関して個人的な意見を述べれば、
経口摂取が不可能な時の、一時的な栄養供給法であり、
それは、
経口摂取の訓練と併用して
栄養状態の改善が図られるものであるべきだ
と思います。
つまり、クライアントの状態が回復すれば、
抜去されるということを目的に、
胃瘻は造設されるものであると思うのです。
人を看取るためには、関係者の負担を少しでも減らすため、
医療者側にも家族の側にも、
ゆっくりと死を受け入れていくという環境が必要です。
終末期の医療技術は、そのための準備として行使されなければ、
人間らしい死を迎えることは困難になる
と、個人的には思います。
寝たきり認知症末期の方へ、胃瘻以外に栄養を供給する方法はないか、
知り合いのNrs.に尋ねてみたところ、
末梢点滴という方法があると、教えてくれました。
末梢点滴とは、
胃瘻の代わりに、一日300㏄程度の輸液を点滴で供給し、
看取る方法だそうです。
まだ一般的な方法ではないそうですが、
一日に数百㏄の輸液だけでは、
生命を維持するためには、絶対的に足りない量です。
そのため、少しずつ体は衰えていきます。
ゆっくりと死に向かうその姿を見続けることは、
やはり大変辛いものだそうですが、
医療者側にも、家族の側にも、
『無理に生きさせている』 『何もせずに見殺しにしている』
『生死の決定的決断を、自分が下してしまった』
などの心理的負担を、
緩和させるものであるそうです。
あくまで倫理的な観点から考えた場合、
人間らしい終末期の在り方というものを考えれば、
胃瘻による栄養供給が延々と続くよりは、
よほど人間らしい死の迎え方であるような気がします。
*補足:調べてみると、『終末期』の定義は、
日本老年医学会においても、曖昧であるようです。
以下、
『高齢者の終末期の医療およびケアに関する日本老年医学会の立場表明』
(2001年6月13日)を抜粋。
『「終末期」とは,「病状が不可逆的かつ進行性で,その時代に可能な
最善の治療により病状の好転や進行の阻止が期待できなくなり,
近い将来の死が不可避となった状態」とする。
高齢者は「終末期」にあると判断されても,わが国では余命を予測
するための医学的成績の集積が現状では不十分であり,余命の予測が
困難であるため,「終末期」の定義に具体的な期間の規定を設けなか
った。
「高齢者の終末期」の定義に関しては現在ではこのような曖昧なもの
であるが、 (中略) 不可逆的,進行性の過程をたどることの多い
個別疾患ごとの検討が日本老年医学会の今後の課題となるであろう。』
by hiro-ito55
| 2011-09-01 18:44
| 医療・福祉・対人支援
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