考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

hiroyan55.exblog.jp
ブログトップ

ダブルバインドの落とし穴 (後)


一昨日の続きです。
ダブルバインドということでいえば、僕には、経験があります。


やろうと思えば起居動作から排泄動作まで、全ての身辺動作が見守り~自立で行えるのに、
疲れる』という理由で全く行おうとせず、一日中ベッドの上で寝転んで生活している、
60歳代の入所者。

全ての動作において、介護スタッフやリハスタッフに依存的で、
職員が近づけば、出てくるのは『どうして自分だけがこのように苦しい思いをするのか
といった、延々と続く愚痴ばかり。

緊急の担当者会議を開いた結果、『せめてリハビリだけでも...』という話になり、
その日から、起居動作から排泄動作まで『やれる動作は行なっていただくこと』 
を取り決めとして、他職種とも協力しながらリハビリを再開しました。

スタッフとしては、『利用者に、やれる動作を行なっていただく』ことは、
利用者の自立した生活を支援する』という老健の趣旨に則るもので、
それに向けての具体的な支援の形を作っていくというのは、
半ば当然とも思える対応でした。

しかし、その日を境にやがて、
この利用者の、職員に対する暴言暴力行為が顕著に出現するようになりました。
そしてその行為は日に日にエスカレートしていき、遂には日常化してしまいました。

スタッフ側から『やらない動作』を『やれる動作』としてカウントされ、
それに向けての支援が始まったとき、
その支援を、『やれるのにやらないのは、あなたが怠けているからだ。』
というメタ・メッセージとして、この利用者は受け取ったのです。

この利用者にしてみれば、 
やらない』ことは、もはや『やれない』ことである筈なのに、
それを無理やりやらされるということは、
自分を否定し、服従させるためのメッセージ』として受け取ったのです。

相手に伝わるメッセージというのは、言語によるものだけとは限りません。
例えば、起居動作を介助しながら、介助者が
ホントはやれるのに、どうしてこの人はやらないのか...。』という姿勢を見せれば、
それは非言語的メッセージとして、相手に伝わってしまうこともあります。

そうした場合、それが立派なダブルバインドとなってしまうのです。


僕らの仕事は、日常的に人間の弱い部分に触れる機会の多い仕事です。
ですから、自分たちの発するメッセージ(言語・非言語の両方)が、
相手にどのように伝わっているのか、
自己点検のアンテナを張り巡らせ、常に注意深くあらねばならない。

自省の意味も込めて、そのように思います。


b0197735_044097.jpg


[PR]
by hiro-ito55 | 2011-08-24 00:05 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー