考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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現場の奮闘について思うところ

前回の記事のコメント欄で、次のようなことを書きました。


各専門職と本人、家族を含めた実地に基づく検証が、
どれだけお互いのためになるのか。

それは、初めから「効果」だけを求める方法論では、
到達できない、貴重な結果なのです。

しかし残念ながら、今の介護保険制度では、
それをバックアップするだけの体制が整っている
とは言い難いところがあります。

僕らの対象が、利用者の機能訓練から利用者の生活に脱したとき、
利用できる (つまりバックアップする) 制度も、
それに合わせて変化しなければ、

或いは、介護保険とは違う制度も利用できるよう、
制度として体制を整えなければ、
(そのうち) 立ち行かなくなるのではないでしょうか。

2011年5月22日の記事にも書きましたが、「兵站」を軽視すれば、
現場が混乱するのです。

それは、僕らの世界でも、同じことが言えると思うのですが...。



兵站』 とは、軍事用語ですが、
後方から連絡・交通の手段を確保し、
前線に物資や人員の補給、修理などを行なうこと 
です。

日本人は伝統的に、この 『兵站』 を機能させて、
現場と後方支援を一体化させた、効率的な戦略を考えるのが、
どうも苦手というか...。

それよりも、なぜ組織や制度としてのバックアップが無いにも関わらず、
個人が現場で奮闘する姿の方が 『受け』 がよいのか...。

それは恐らく、経験を重視する日本人の宗教観とも
関係があるのではないかと、最近僕は考えています。


日本人の世界観のベースにあるのは、神道です。

西洋人からは、 『アニミズム』 と揶揄されることもある日本の神道ですが、
今でも日本人の生活の中に溶け込んでいます。

例えば、不吉なことが続くと、盛り塩をしたり塩を蒔いたりする習慣、
或いはもっと身近な例でいえば、自分の箸を持つ習慣、

これらは、 『禊 (みそぎ)』 や 『祓 (はら) い』 といった
神道が持つ独特の習慣と関係しているのですが、
神道にはキリスト教やイスラム教のような 『ドグマ』 は存在しません。

教理教典も持たない神道が、
その拠り所とするのは、個人の経験です。

文章化された教え』 を持たなければ、
それは経験として受け継がれる他に、生き残る術がないからです。

神道について詳しく検証しようとすると、
このブログではとても収まりきれず、
また、僕自身も書き切る自信など全然ないので、
とりあえずここでは、

ドグマを持たない宗教は、経験的世界観に生きる

とだけ覚えておいて下さい。


よく 『日本人は無宗教である』 と言う方がいますが、
無宗教であれば、日本におけるキリスト教徒の割合が、
何故いつまでも総人口の1%を、大きく超えることができないのか、

その説明がつきません。

(芥川龍之介は、 『神々の微笑』 の中で、
それは、日本人の持つ 『作り変える力』 の影響だと述べています。
また、400年以上続くこの現象を、 『1%の壁』 とも言うそうです)


宗教を持たない民族など、世界中の何処にも存在しませんから、
日本人は個人が自覚するしないに関わらず、
生活習慣から、この経験的宗教に縛られています。

キリスト教神秘思想も、個人の経験を重視しますが、
キリスト教文化圏において、神秘思想は 『異端』 として扱われます。

しかし、民族規模での一神教を持たない僕らには、
伝統的に経験を重視する習慣が、自然と身に着いているのです。


例えば、 『万葉集』 には、天皇から名も無き防人の詠む歌まで、
身分や貧富の差に関係なく、
同じ一冊の本に纏められていることを考えれば、
日本人がいかに個人の経験に、その価値の重きを置いてきたかが分かります。

この価値観がベースにあればこそ、例えば
東日本大震災後に現地で奮闘する自衛隊員ボランティアの姿に、
国民の多くは共感できるのです。

これら奮闘する個人の経験は、共感を超えて、
美談として取り上げられることも、しばしばです。

彼らの奮闘は、ちょうど万葉集の歌のように、
詩的な経験として、僕らには映るのかもしれません。


コメントではうっかり、
現場が混乱するのは、 『兵站を軽視する』 からだと述べましたが、
軽視するというよりは、

経験に価値の重きを置くあまり、
相対的に兵站が軽んじられてしまう


と言った方が正確かもしれません。


日本人の経験と、バックアップ組織について考えたとき、
僕には、そのように感じられるのです。


僕もまた、個人の経験や世界観をとても重視しますし、
経験に基づく知というものを大切にする人間ですので、

僕自身も、一作業療法士という立場から大きく逸脱して、
自分の経験を語ることはできません。

そういった意味で、僕も伝統的な日本人と言えるのですが、
しかし、兵站を機能的に考えるためには、
これとはまた、別の思考を必要とします。

それは、現場の経験や見通しといったものと、
組織や制度のバックアップとを、
バランスよく考えられる知性のことですが、

具体的には、それはフィクサーとして働く人のことであり、
これを組織的に出現させることが、
この知性を機能的に活用するために、重要であるのかもしれません。

この業界においても、組織的なフィクサー作りが進めば、
もっと活気が出てくると思うのですが....。

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by hiro-ito55 | 2011-08-02 23:00 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー