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生きる美意識 ~その4~

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 目的によって知覚を限定し制御する、そのような知覚を支配するのは、
こちら側の意志です。

 ひとつのものを徹底的に見ようとすれば、意志とは関係なく、
Henri-Louis Bergsonの言葉を借りれば、
そこには知覚の拡大深化の道があるだけです。

 このような道を突き詰めれば、
見ることが感ずることと一緒になる 『観』 の道があるのかもしれませんが、
前回述べたような自然の美しさを感じる経験を、
芸術家が感じるような特別な経験ではなく、

僕らの日常経験として、どこにでも転がっている経験であるという、
そういう 『知覚の方法』 として捉えれば、

僕らはただ、そのような知覚の仕方で、ものを見ていないだけではないか
という反省に行き着きます。

 この反省は同時に、
知覚に使役される自分自身への、内省の眼を鋭く自覚させるものです。

 内省は人を沈黙させます。

 美を前にしたときの沈黙は、
自分の目的に沿って明晰化された 『合理的知覚』 ではなく、
云わば、自分の意志ではどうにもならない知覚に襲われたときの、
人間の正常な反応を示すものであり、

この沈黙を現代人は恐れているのかもしれません。


 美しいものを前にして、殊更ああだこうだと批評したがるのは、
合理的知覚を使役するからなのでしょう。

 僕らの日常において、
沈黙するということが何か良くないイメージとして捉えられるのは、
合理的な知覚を殊更、重宝しているからでしょうが、

美しいものや景色を前にしたときの沈黙という、
人間の正常な反応を示す経験は、
紛れもなく僕らの日常感覚でもあるのです。

 ならば、花の魅力に魅せられて、花を描きつづける画家は、
この沈黙ひたすら耐えようとする日常人の姿であり、
その絵を前にしたときの僕らの沈黙は、
彼の知覚を我がものにしようとする、そういう 『出会い』 でもある筈です。





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by hiro-ito55 | 2011-06-03 18:54 | 美意識 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


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