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『ガンダム』と『武士道』

先日、久しぶりに懐かしくなって
『ガンダム』のDVDをレンタルしました。

このアニメは、僕らの世代ではお馴染みですね。

一通り見終わった後、
何故あの頃の若者はこのアニメに夢中になったのか、

そして何故今でもファンが多いのか、
今見直してみると、何となく分かるような気がしてきました。
 
そこに、『武士道』に通じるものがあるからです(笑ってはいけません)。


物語の後半に、こんな場面があります。

地球連邦軍(主人公アムロの所属する組織)の最高司令官レビル将軍が、
敵の要塞に総攻撃をかけるため、
自軍の艦隊を集結させている時です。
(これをアニメでは『星一号作戦』と呼んでいます)

敵のジオン公国公王デギン・ザビが、
和平交渉のために僅かな兵を率いて、
その艦隊が集結している場にやってきます。

その時、艦船の窓越しにそのデギン・ザビを確認して、
レビル将軍が側近に呟いた言葉。

『敵もつらいのだな。』


或いは、こんな場面もあります。

ジオン公国公王デギン・ザビの息子、ギレン・ザビが、
敵の連邦軍を殲滅するために、
ソーラーレイという核兵器のような大量殺戮兵器を使用する許可を、
デギン・ザビに申し出ます。

しかし、この大量殺戮兵器を使用するためには、
自国の民間人20万人を疎開させなければなりません。

デギンはそのことを
『これは軍人の無能を示すものである。』
と述べ、息子のギレンを窘めます。


このアニメは、このような場面が随所に見られます。

これは、敵や弱者に対する労わり、
つまり武士道で言えば、『惻隠の情』です。

戦う敵に対しても敬意を払う、
或いは自らの行為を自省する心というものは、

戦いの場においての『美意識』の現れであり、
それをアニメというスタンスで見せたことに、
このアニメの斬新さはありました(たぶん)。

主人公や敵のパイロットが乗り込むロボットが、
(アニメではこのロボットを『モビルスーツ』と呼んでいます)
みんなどことなく『武者』の姿をしているのは、
偶然ではないように思えます。


この『ガンダム』というアニメ、
それまでのアニメと大きく異なるのは、
『人間 対 人間の戦い』であるということです。

ガンダム以前には、
例えば『黄金バット』にしろ、『マジンガーZ』にしろ、
戦うべき相手は『怪物』や『宇宙人』で、

主人公が持つ『絶対正義』の下に、
『人間 対 異生物』という戦いの構図を作り出すのが、
ヒーローアニメの定番でした。

ところが、ガンダムで描かれる『敵』は『人間』で、
主人公たちが戦う相手も人間である以上、
敵にも一理あると思えるような描き方をしています。

しかも敵にも見方にも、
『粋な兵士』 『良い奴』 『嫌な奴』がいて、
それぞれに人生観、世界観らしきものがあり、
『絶対正義』というものがそこには描かれていません。

もちろん、主人公のアムロを中心に物語を描いていますから、
主人公と仲間の正義が、話の中心にはなってはいます。

しかし、元々このアニメで描かれている戦争が始まった理由は、
主人公の所属する地球連邦という組織が、
宇宙への移民者に同等の権利を認めなかったことによるもので、

その権利を勝ち取るべく、
宇宙移民者のジオン公国が、敵として独立戦争を挑んできた
という設定になっています。


つまり、それまでのヒーローアニメのように、
はじめから主人公の側に、戦う動機としての『絶対正義』があり、
それに沿って勧善懲悪を実行していく物語である

と、視聴者に思わせて見せる設定ではないのです(たぶん)。

その物語の奥ゆかしさに、
当時の若者の多く(主に男子)は夢中になりました。


今思えば、なかなか『構造主義的な設定』というか、
小学生には分かりにくい内容であったなぁと思います。

あ、でも僕は決して『アニメオタク』ではないので、
その点はくれぐれも誤解のないように、お願いしたいものです。


では、そろそろ晩飯を食べに行ってきますので、
今回はこの辺で。

『いとちゅー、(晩飯に)行きまーす!』




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by hiro-ito55 | 2010-12-07 18:29 | 哲学・考え方 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


by いとちゅー