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榊いずみ


14日に「名古屋sunset BLUE」で開かれた榊いずみのライヴに行ってきた。
武道館など、大きなホールでやっていた頃、榊いずみは遠い存在だったけど、
ライブハウスで目近に歌う彼女の、とてもパワフルな姿に圧倒された。

22年前、初めての一人暮らしで鬱々としていた時期に、
榊いずみ(当時は旧姓の橘いずみ)というミュージシャンの存在を知った。

友達の家に遊びに行ったとき、
彼はアコースティックギターで「サルの歌」を弾いてくれた。

故郷を離れて不安で一杯だった僕には、あまりにも衝撃的な歌で、
そのミュージシャンの名前を探して、すぐにCDショップに駆け込んでいったことを、
今でもよく覚えている。

永遠のパズル、失格、太陽、バニラ....。
当時CDが擦り切れるほど何度も聞いた曲たち。

あれから随分と時が流れてしまった。

それでも、赤いアコースティックギター片手に、
それら思い出の曲ひとつひとつを、力を込めて歌い上げる榊いずみは、
40代になった今でも、やはりとてもカッコいい存在だった。

小さなライブハウスでの、夢のようなひととき。
目の前で書いてくれたサインとともに、僕は確かに元気をもらった。


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# by hiro-ito55 | 2017-05-19 21:07 | 音楽 | Comments(0)

お花見


「あそこにサルノコシカケができとるから、これももう老木なんだろうなぁ」
妻が握ったおにぎりを頬張りながら、樹齢50年にもなる桜の木を見上げ、その人は呟いた。

サルノコシカケとは、茸の一種で、
木の幹にこれがいくつもできると、桜の木もそろそろ寿命を迎える時期になるのだそうだ。

その日は、庭に咲いた桜を眺めながら、家族そろってのお花見。
今年はリハビリの歩行練習がてらだけど、
去年亡くなった娘さんの遺影とともに、無事桜を愛でることができた。

桜の真横には、いつのまにか椿の真っ赤な花が数輪咲いている。
どこからか、鳥が種を運んできたようだ。

そして、数メートル横には剪定したばかりの杉の木が三本並んでいる。
紫陽花は葉を着けたばかり。檜は去年のままの姿だ。


椅子に腰かけ、この一年間庭に起こった出来事を妻から聞かされた。
夏には、毛虫が着いてたいへんだったこと。
秋には、台風で枝が何本も折れたこと。
冬には、息子家族が雪かきの手伝いに来てくれたこと。

妻が話すたびに、「ああ、そうかそうか」と頷く。
今年も変わらず木や花が、それぞれの姿で育ってくれている。
今は、それが何よりも嬉しい。

娘がもういないことと、自由にならない自分の体があること。
それでも季節は、巡ってくるのだとしても。

ひとつの家族に起こった、いくつもの出来事など、
まるで関係がないかのように、月日は流れていく。


その人の望みは、桜の木を見ることだった。
それに触れ、娘と変わらぬ笑顔を交わすことだった。

笑い声の飛び交う桜の木の下で....。


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# by hiro-ito55 | 2017-04-09 19:46 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

桜の木


庭の入り口に、大きな桜の木がそびえている。
娘さんが生まれた記念にと植えた木だから、樹齢50年になるという。

毎年きれいな花を咲かせるこの木も、去年は見ることができなかった。
玄関から、ほんの15メートルほどの距離にあるのに、
その距離が、途方もなく長いものに感じられた。

今年も諦めかけていた。

でも、ほんの少しだけ春めいた日に、
何か月ぶりだろう、外の空気を吸うことができた。

午後の暖かな春の空気を、全身で味わうようにゆっくりと顔を上げ、
その人は、まだ咲かぬ桜の木を眺めている。

その木に、その手で触れるまで、まだ10メートル以上の距離がある。

何でもない距離だったはずなのに、
椅子に腰かけ、傍らに立つセラピストに娘の思い出話をすることが、
今のその人の心を落ち着かせている。


なぜ、自分の力で歩きたいのか。
それは、桜の木を自分の目で見たいから。歩いて、自分の手で触れたいから。

頑張りたいからじゃない。
自分にもできることを、家族やセラピストに見せつけたいからでもない。
ただ、自分で植えたあの桜の木を見たいだけ。


毎年毎年、満開の花を咲かせるたびに一番に喜んでくれたのは、
障害を持って生まれてきた娘だった。

不自由な体を不憫に思うこともあった。
こんな形でしか生を与えることができなかったことを、申し訳なく思うこともあった。

でも、今年も元気に咲いてくれたこと、娘の笑顔を見られたこと、
満開のその木を眺めるたびに、家族でいることの幸せをいつも感じることができた。

その木には、
成長とともに重ねた年月と同じだけ、今も変わらぬ大切な思いが詰まっている。

だから今年も、あの桜を一緒に見たい。
咲き誇る桜の木に、今年も変わらぬ姿を見せられるように。


歩きたいと思うその人の願いは、桜の木を見ること。
歩いて、自分の手でそれに触れることなんだ。


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# by hiro-ito55 | 2017-04-01 21:53 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー